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ニュースレター

Fly Me to the Sun -佐藤CEOのコラム-

2010.12.01 [第18号]

第6回 - 実用化・事業化するには運と根性

研究者や開発者、または発明家自身には「見えている」ことでも、その発見や発明が画期的であればあるほど、世間の人たちからはなかなか理解されないことが多いようです。それはやはり、普通の人々は、変化よりも現状の安定を好むからなのでしょうか。
また新しい発明は、一般の人たちの無理解や拒絶に合うだけでなく、ビジネス上の利害の衝突から、同業者との先陣争い(先駆者利益争い、とくに特許紛争など)に巻き込まれることも多々あります。

例えば、電話の発明と事業化の経緯を振り返ってみると、非常に面白い(生々しい)事実があったようです。
いまでは誰もが当たり前に使っていて、電話がない状態など想像したこともないでしょうし、そんな電話の便利さはいまでは三歳の子供にだって理解できると思いますが、電話が発明された当時(つまり、電話というものがまだ存在しなかった時代)には、すぐに「これは素晴らしい発明だ!」と認めてもらえたわけではなかったようです。

アレクサンダー・グラハム・ベルが電話のアイデアを、当時世界最大の通信企業だったウェスタンユニオン(Western Union)電信会社に売り込みに行った際、当初ウェスタンユニオン社の役員たちは「こんな発明は何の役にも立たないオモチャのようなものだ」と決めつけ、せっかくの提案は却下されています。
実際、ベルの電話機は、1876年6月フィラデルフィアで開かれた建国100周年を記念する万国博覧会に出展されたのですが、なんとその電話機の展示は、玩具会場だったのだそうです。

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この当時の電話機は、実用性とか技術的な観点から評価されていたのではなく、遠く離れた人と会話ができる神秘的で不思議な装置として、まるでテレパシーの実験のような「見世物」に近い扱いであったようです。もちろん、ベルはそれらの無理解や不当な評価にめげることなく、自らベル電話会社(※ 後のAT&T)を立ち上げ、事業化を進めていきました。
事業化の進展を見たウェスタンユニオン社は、エリシャ・グレイやエジソンらの電話機の特許を買い、それをたてに、熾烈な裁判(特許紛争)が勃発したのでした。



【 同時期に2人の研究開発者によって書かれた電話のスケッチ。 】

実のところ、電話機の発明はほぼ同時期にエリシャ・グレイによっても相当程度進められていて、
真の発明者(先駆者)が誰なのかについては諸説があり、いまでも明確ではないようです。

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ベルの実験ノートのスケッチ
(1876年3月9日)
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グレイの実験ノートのスケッチ
(1876年2月11日)



近年の青色発光ダイオードの特許紛争を見てもわかるとおり、世の中への影響力が大きい発明であればあるほど、こういった争いごとも激しくなるようです。
発明が実用化され、軌道に乗るまでには、さまざまな困難が待ち構えているのが一般的です。それを乗り切るのは、やはり人並みはずれた「執念」と、「運」とが必要と言えるのかもしれません。



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